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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)9327号 判決

原告 山本和行

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 植木徹夫

同 青柳孝夫

被告 日通プロパン東部販売株式会社

右代表者代表取締役 大日向ヤチヨ

右訴訟代理人弁護士 山田重雄

同 田中仙吉

同 藤田信祐

同 山田克巳

主文

一、被告は原告山本和行に対し金六六二、四六九円およびこれに対する昭和四一年一〇月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告山本美和子に対し金七〇万円およびこれに対する昭和四一年一〇月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四、この判決は、第一項に限り原告らにおいて、それぞれ、金二〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告は、原告山本和行に対し、金一、六三三、三六四円およびこれに対する昭和四一年一〇月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告山本美和子に対し、金二、四三二、四九五円およびこれに対する昭和四一年一〇月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

(請求の原因)

一、原告らは夫婦であり、被告はプロパンガスおよびその器具類の販売設置等を業とする会社であるが、原告らは、昭和四一年二月二〇日被告から、台所および浴場用に使用するため、フランス製ベスピアス湯沸器一台(以下本件湯沸器という)を購入し、その設置を注文したところ、被告は、その取締役営業部長である訴外佐藤富雄に本件湯沸器の設置工事全般を担当せしめ、被告の継続的な下請業者の関係にある訴外鈴木管工業株式会社(代表者鈴木敏)に右の設置工事を請負わせて、同月二六日原告ら居宅一階の台所の一隅に本件湯沸器を設置した。

二、原告美和子は、同月二八日午後六時ごろ本件湯沸器に点火して約三〇分間浴槽(浴場は台所に隣接している)に給湯したのち水道の蛇口を閉じ、右湯沸器を消火して、台所と居間の戸を閉め、裸になって浴場に入り、小物を二、三洗濯してから浴槽に入ったが、その直後急に胸苦しくなり浴槽から出て台所に入ろうとしたところ、本件湯沸器から排出した濃厚な一酸化炭素を吸入したため身体が自由にならずうつ伏せの状態で意識を失い浴場の入口附近で昏倒し、その後二、三時間して寒気のため意識を回復したので、気力を振い起し必死の想いで二階の寝室にたどりつき安静に横臥し、漸やく翌三月一日の昼頃起き上れるようになったものの、当時妊娠九ヵ月の身重であった原告美和子は、右のように一酸化炭素を大量に吸入して一酸化炭素中毒症状となり腹部を圧迫したため、胎動が激しくなり、次いで下腹部に重圧感が襲い、更に急激な陣痛に見舞われて同年三月三日滝沢産婦人科医院に入院し、同年四月一日が出産予定日であったのに、同年三月八日異常早産し、長女かの子を出生した。ところがかの子は前記のように母胎内にあったとき母親の原告美和子が一酸化炭素中毒症にかかったためその影響を受けて出生の際既に脳性麻痺の症状を呈しており、原告らは、同月一〇日賛育会病院小児科未熟児センターに入院させ、更に同年六月八日東京小児療育病院に移院させて治療したが、かの子の脳性麻痺の症状は全く回復せず、脳性麻痺に基因する気管支炎を併発し、右病院で同月一八日死亡するに至った。

三、そもそも、本件湯沸器のような危険な器具を設置販売する業務に従事する者は、買受人たる一般人が通常考えられる過失によって重大な事故に遭うことのないよう予防するため、十分に安全な状態で湯沸器を販売設置すべき注意義務があるというべきところ、前記訴外佐藤富雄および同鈴木敏は、本件湯沸器を設置するに当り、右の注意義務を怠り、排気筒なしに本件湯沸器を使用すれば、湯沸器から排出される一酸化炭素のために、室内にいる者がその中毒症にかかることが必至の状態にあったのにもかかわらず、右の排気筒を取付けない儘で本件湯沸器を使用可能の状態に置き、しかも、右の排気筒のない状態で使用する場合に発生する危険な事態を全く原告らに警告せず、却って、訴外鈴木は原告美和子に対し「右の排気筒のない状態で本件湯沸器を使用して差支えない」旨を言明しているのであって、これらは明らかにその尽くすべき注意義務を怠ったものである。

従って、本件事故は、被告の被用者である訴外佐藤富雄および同鈴木敏(すなわち鈴木管工業株式会社)が被告の業務の執行に当り重大な過失によって惹起したものというべく、被告は、民法第七一五条第一項の規定により、本件事故のため原告らの被った後記損害を賠償すべき義務がある。

四、原告らが本件事故により被った損害は次のとおりである。

(一)  原告和行は、かの子の出産、医療、葬儀等のための諸費用として、滝沢産婦人科医院分金三五、四〇〇円、賛育会病院分金一〇〇、三三八円、右病院より東京小児療育病院への移院費用分金三、〇〇〇円、東京小児療育病院分金一二、五三一円、葬儀費用分金四九、六〇〇円以上の合計金二〇〇、八六九円を支出し、同額の損害を被った。

(二)  かの子は、本件事故がなかったならば、女性として平均六七年の余命があり、一八才から働きはじめ、月額金一万九、八三五円の給与を得て、六〇才に達するまで四二年間働くことができた筈であり、他方右四二年間のその生活費は月額金一万二、九七〇円であると認められるから、かの子が右の四二年間に取得すべかりし純利益は金三、四五九、九六〇円となり、これを同女の死亡した昭和四一年六月一八日現在の一時払額に換算すると、

3,459,960÷(1+0.05×60)=864,990

すなわち、金八六四、九九〇円となるのであって、これがかの子において本件事故のため被った逸失利益による損害というべきところ、原告らは、それぞれかの子の死亡により、その父母として、かの子の右の損害賠償債権を二分の一、すなわち、金四三二、四九五円宛相続によって取得した。

(三)  原告美和子は前述のように強度の一酸化中毒にかかって生死の危険にさらされ、またそのために胎児を異常早産し、出生した長女かの子は出生のときからの脳性麻痺にかかっているということで、産後も耐えられない苦悩にさいなまれたこと、原告らは、はじめて生まれた長女の異常な姿に接し、身心をすりへらしその治療に没頭したが及ばず、不慮の死に遭い、甚大な精神的苦痛を味わされたのであるが、被告はこれに対し何ら誠意ある態度を示していないのであって、原告らの被った精神的損害は容易に金銭に換算できるものではないが、その慰藉料の額は少く見積っても、原告和行につき金一〇〇万円、同美和子につき金二〇〇万円がそれぞれ相当である。

五、よって、被告に対し、原告和行は前項(一)(二)(三)の合計金一、六三三、三六四円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四一年一〇月一五日以降完済に至るまで年五分の割合により遅延損害金の支払を、原告美和子は前項(二)(三)の合計金二、四三三、四九五円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四一年一〇月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ、求めるため、本訴に及んだ。」

と述べ、被告主張の抗弁事実はすべて否認すると述べた。

被告訴訟代理人は、「原告らの請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「一、請求の原因第一項記載の事実は認める。

二、請求の原因第二項記載の事実は知らない。

原告ら主張のように、原告美和子が昏倒、異常早産をし、またその出生児が脳性麻痺症状を呈して死亡したとしても、それは、一酸化炭素の中毒に起因するものではなく、これ以外の貧血症や妊娠中毒症等によるものであることが容易に推測される。

三、請求の原因第三項記載の事実は否認する。

被告は、原告から本件湯沸器設置の注文を受けたので、訴外鈴木管工業株式会社にその設置工事を依頼し、昭和四一年二月二六日これを設置したが、その際排気筒を取付ける予定であったところ、その入荷が遅れ当日その取付けが間に合わなかったので、特に被告の工事責任者佐藤富男および鈴木管工業株式会社の鈴木敏が右同日原告美和子に対し「この儘湯沸器を使用する場合は、酸素が不足するから、台所の出窓を少し開けるよう」注意を与え、かつ使用上の注意書を交付しているのであるから、被告には何らの過失もなく、むしろ、ガス器具使用に当り一酸化炭素中毒の予防措置として十分な換気が必要であることは常識となっており、しかも原告和行は医師としてかかる知識に通暁していた筈であるから、原告らは、被告の注意を受けるまでもなく、本件湯沸器を使用する際窓を開ける等十分な換気措置をすべきであったのであり、原告ら主張の事故が発生したとしても、それは、もっぱら原告らの不注意に基づくものといわなければならない。

四、請求の原因第四項記載の事実は知らない。

なお、仮に被告に損害賠償責任があるとしても、原告らの主張する滝沢医院分金三五、四〇〇円は通常の出産費用に過ぎないから本件事故による損害には該らず、次にかの子が収入を得るに至る十八才までの間の養育費、教育費等の相当額は、原告らがかの子の扶養義務者としてその死亡により将来の支出を免れたわけであるから、原告らが相続したかの子の逸失利益による損害賠償金額よりこれを控除すべきであり、また、本件事故の態様、かの子は出生後間もなく死亡していること、原告らにはその後男児が出生していること等の事情を勘案すれば、原告らの主張する慰藉料の額金三〇〇万円は余りにも高額に失する。」

と述べ、抗弁として、

「仮に被告に損害賠償義務があるとしても、原告らにも次のとおり過失があったから、右の損害賠償額を定めるにつきこれを斟酌すべきである。すなわち、

(一)  湯沸器等のガス器具を使用するに当り一酸化炭素中毒の予防措置として十分な換気を必要とすることは、当時一般家庭で常識となっており、しかも原告美和子は、本件事故発生当時本件湯沸器に排気筒の取付けが予定されていながらそれが遅れていることを知っていたのであるから、本件湯沸器を使用するに際しては被告の注意の有無にかかわらず当然窓を開けるなどの換気方法を講ずべき注意義務があったものというべきであり、これを怠った同原告に過失がある。

(二)  また、原告美和子は妊娠九か月の妊婦であったというが、そのような妊婦は長湯、過労等を避けて健康管理に十分留意すべきことは常識であるにもかかわらず、同原告は、これを怠り、昭和四一年二月二日に市川市より原告らの現住所に引越をし、これがため過労に陥っており、また、本件事故当日は入浴中に洗濯をしたりして長湯しているのであるから、同原告に過失があるといわなければならない。

(三)  更に、原告美和子は昏倒し意識を失ったというのであるが、意識回復後直ちに適切な措置を講じていたならばかの子死亡の事態は避けられたものと考えられるところ、同原告は、これを怠り、三日間も放置していたのであって、この点についても同原告に過失がある。」

と述べた。

≪証拠省略≫

理由

原告主張の請求原因第一項記載の事実は当事者間に争いがなく、同第二項記載の事実は、≪証拠省略≫を総合して、十分にこれを認めることができ(もっとも、正確にいえば、原告美和子が滝沢産婦人科医院に入院した日、同原告の出産予定日、かの子を東京小児療育病院に移院させた日は、順次、昭和四一年三月四日、同年四月八日、同年六月七日であったと認められる)、右認定を覆えすに足る証拠はない。

ところで、本件湯沸器のような危険な器具の設置販売を業とする者は、その業務を行うに当り、かかる器具の一般使用者に事故が発生することないよう細心の注意を払い、慎重を期すべきことは当然であるというべきところ、≪証拠省略≫を総合すれば、昭和四一年二月二六日被告の営業部長佐藤富男の指示のもとに鈴木管工業株式会社の代表者鈴木敏は、本件湯沸器には排気筒を取付ける予定であったのに、それが未だ作製されていなかったため取付できない儘、敢えて本件湯沸器を設置し、使用可能の状態に置いたのであるが、その際、右佐藤ないし鈴木は、排気筒を取付けない儘本件湯沸器を使用するならば、特段の措置を講じない限り、一酸化炭素中毒等の事故が発生するであろうことを知り、または知りうべきであったのにもかかわらず、原告らに対し「窓を開ける等十分な換気方法を講じないで本件湯沸器を使用することは危険である」旨警告するとか、「本件湯沸器を使用するには右のような換気措置を講じるよう」指示するとかすることなく(もっとも同人らは、原告美和子に対し本件湯沸器の使用説明書を交付しているが、これは原告らの読めないフランス話で書かれたものである)、却って、原告美和子の質問に対し、慢然と「排気筒は一応念のために取付けるのであるから、これなしで本件湯沸器を使用しても心配はない」旨返答していること、原告らにとって本件湯沸器の使用ははじめてであったことが認められるのであって(≪証拠判断省略≫)従って、本件湯沸器による一酸化炭素中毒の事故は右の佐藤ないし鈴木(ないしは鈴木管工業株式会社)の過失に基因するものといわざるをえない。

しかるところ、佐藤富男が被告の営業部長であり、鈴木敏が鈴木管工株式会社の代表であることは前記のとおりであって、右訴外会社が被告の下請の関係にあったことは当事者間に争がないけれども、≪証拠省略≫によると、訴外会社は被告の指揮監督下にあったことが窺われ、従ってその間に実質的な選任監督の関係が認められるから、被告は民法第七一五条第一項の規定により前記事故のため原告ら(かの子を含め)の被った損害を賠償すべき義務がある。

そこで原告ら(かの子を含め)が本件事故によって被った損害について検討すると、

≪証拠省略≫によれば、原告和行はかの子の医療費として、賛育会病院に対し金一〇〇、三三八円、東京小児療育病院に対し金一二、五三一円、かの子の葬儀関係費用として金四九、六〇〇円、以上合計金一六二、四六九円を支出したことが明らかであって、右支出は本件事故により原告和行が被った損害であると認められる。

ところが、≪証拠省略≫によれば、原告和行は同美和子の妊娠、出産に伴う費用として滝沢産婦人科医院に対し金三五、四〇〇円を支出したことを認めうるけれども、これには通常出産のために必要とされるもの以外の費用が含まれていることは否定しえないけれども、それが幾許であるかについては明確にすべきよすがもないから、右の支出金をもって本件事故により原告和行が被った損害と認めるわけにはゆかず、また、同原告の主張するかの子の賛育会病院から東京小児療育病院への移院費金三、〇〇〇円の支出についてはこれを認めるに足る証拠がない。

次に原告らは、かの子は、本件事故のため死亡しなかったならば、一八才から六〇才までの四二年間に金三、四五九、九六〇円の純益を挙げ得た筈であると主張するけれども、これを認めるに足る証拠の提出がないから、原告らの主張するかの子の損害賠償請求権の相続を認容するに由ない。(もっとも抽象的にこのような相続権を原告らが有することは、後記慰藉料の算定に当り考慮されないわけではない。)

最後に、原告両名の各本人尋問の結果によると、原告和行は昭和三〇年三月新潟大学医学部を卒業し、診療所長をしている医師であり、原告美和子は、昭和三七年三月東北大学文学部を卒業し、昭和四〇年二月原告和行と結婚して家庭にあること、死亡したかの子は原告らのはじめての子供であることが認められ、また、原告らが、そのはじめての子供が脳性麻痺ということでその治療に心労を重ね、この死亡により多大の精神的打撃を受けたであろうことは容易に推測しうるところであって、これに前記認定の諸事情を斟酌し、なお、かの子は前記のように出生後僅か四ヶ月足らずで死亡していること、原告美和子本人尋問の結果により認められるとおり原告らの間にはその後昭和四四年二月に男子が出生していること等を考慮すれば、その慰藉料の額は、原告和行につき金八〇万円、同美和子につき金一〇〇万円が相当であると認められる。

従って、本件事故により原告らが被った損害の額は、原告和行の分につき合計金九六二、四六九円、同美和子の分につき金一〇〇万円となるところ、原告美和子本人尋問、検証の各結果を綜合すると、本件湯沸器は原告ら居宅の一階台所に設置されているのであるが、この台所の床面積は三帖であって、これに接して床面積半坪の浴室があること、本件ガス中毒事故発生の当時原告美和子は台所の窓等を閉め切っていたこと、同原告は右事故の以前に前記鈴木敏から本件湯沸器に排気筒が取付けられることになっている旨を聞かされていることが認められるのであるが、原告美和子は、前記のように本件湯沸器をはじめて使用するということであり、しかも、換気不十分な室内で本件湯沸器のようなガス器具を使用することが危険を招来する虞れのあることを知りえたはずであるから、前記のような鈴木敏の返答があったとはいえ、不用意にこれに盲従することなく、前記排気筒の取付を待つなり、または、窓を開ける等排気筒の取付に代るべき手段を講じて、本件湯沸器を使用すべきであったといわざるをえず、従って、本件事故の発生に関し、原告美和子にも過失がなかったものとはなし難く、そして、右のように原告美和子に過失があったときは公平の見地から原告和行を含む被害者側に存する過失として、原告美和子のみならず同和行の被った損害の賠償額の算定についてもこれを斟酌すべきであり、しかるときは、原告和行に対する損害賠償の額は金六六二、四六九円、同美和子に対する損害賠償の額は金七〇万円と定めるのが相当である。

以上の次第であるから、被告は、原告和行に対し、損害賠償金合計六六二、四六九円、原告美和子に対し、損害賠償金七〇万円および右各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和四一年一〇月一五日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 真船孝允)

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